2013年2月11日(祝)、京都烏丸御池の「Samurai Cafe & Bar SHISHIN(士心)」にて、第八回字天ナイトを開催いたしました。

当日のライブの、活動報告です。

第八回目の字天ナイトもまた書家の八木翠月先生にご臨席いただき、小田の「新ことば」を即興で書にしたためていただきました。
当日は、「古代中国ナイト」と称して、古代中国にまつわるエピソードから、小田が「新ことば」のヒントを取り上げました。

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まず最初に「新ことば」を贈らせていただいたのは、松川絵里子さん。
松川さんは、次から次へと沸くが如くに数々の芸にチャレンジしておられるというお話を伺い、その華やかな才と飽くなき趣味心に最初は圧倒され、次にはみずみずしい生命力を感じ取って喜ばしくなりました。

モダンバレー、演劇、書画、陶芸、、、ともかく芸術が好きで、趣味に没頭しているうちに友人と世間話が会わなくなってしまったこともあられたとか。
現在は、アクセサリーを主に手作りの物を販売する「縞猫亭」の店主。さらに芸を発展させておられ、今後もますます広げていかれることでしょう。




蓁蓁遊人
(しんしんゆうじん/しんしんたるゆうじん/しんしんゆうのひと)

そのこころは、「青葉が繁るように伸びやかに遊ぶ人」。または「青葉が繁るように伸びやかな、遊人/旅人」です。

当日私が松川さんに中国の古典をいくつかご紹介させていただいたところ、松川さんは『詩経』に心引かれる、と言われました。

そこで、『詩経』の中の名作を取り上げ、「新ことば」のテーマとさせていただきました。

桃夭

桃之夭夭
灼灼其華
之子于歸
宜其室家

桃之夭夭
有蕡其實
之子于歸
宜其家室

桃之夭夭
其葉蓁蓁
之子于歸
宜其家人

桃夭(とうよう)

桃の夭夭(ようよう)たる
灼灼(しゃくしゃく)たる其の華
この子、于(ここ)に歸(とつ)ぐ
その室家(しつか)に宜(よろ)しからん

桃の夭夭たる
蕡(ふん)たる其の實(み)あり
この子、于に歸ぐ
その家室(かしつ)に宜しからん

桃の夭夭たる
其の葉、蓁蓁(しんしん)たり
この子、于に歸ぐ
その家人(かじん)に宜しからん

(現代語訳)
若々しい桃の木に/鮮やかな色の花が咲く/
この子が、今嫁ぐ/きっと家の幸いとなるだろう。

若々しい桃の木に/豊かな実が結ばれる/
この子が、今嫁ぐ/きっと家の幸いとなるだろう。

若々しい桃の木に/のびのびと青葉が繁る/
この子が、今嫁ぐ/きっと家の皆の幸いとなるだろう。

『詩経』は、今から3000年前の中国に栄えた周(しゅう)王朝の歌謡を収録したものです。
後世の漢詩の、最も古い源流です。
歌われている歌謡は、古代人の感情をそのままに歌った、素朴で愛すべき作品です。
この『桃夭』は、訳にあるように娘の婚礼の様を桃の若木にたとえて歌った作品です。
本日は、この『桃夭』の中から「蓁蓁」の二字を取り上げました。その意味は、葉が繁るのびのびとした様子のことです。私は松川さんの伸びやかな芸のお姿をイメージしたとき、詩の「蓁蓁」の語句がふさわしいと思いました

その「蓁蓁」の後に、さらに二字を付け加えました。
「行人」と「遊人」のいずれかにしようと思いました。
「行人」は旅人のことです。「遊人」もまた、遊ぶ人という意味と同時に旅をする人のイメージを持つ二字です。
字の形と、ヨリ積極的に「遊ぶ」というニュアンスを前に出すために、「遊人」を採用しました。
これで、「蓁蓁・遊人」です。

「逍遥遊(しょうようゆう)」という言葉があります。
心を自由にして気ままに遊ぶ、という意味です。
これは、無為自然哲学の思想書『荘子(そうじ)』の篇名としてあります。

しかし松川さんならば、さしずめ「蓁蓁遊(しんしんゆう)」の言葉がふさわしいのではないだろうか、と私は思いました。
そのこころは、「伸びやかに、青葉が繁るように遊ぶ」という意味でしょう。だから四字を「蓁蓁遊・人」と読むこともできるでしょう。

出来上がった「蓁蓁遊人」の新ことば。

読みは、固定しないでおきます。

「蓁蓁(しんしん)たる遊人(ゆうじん)」と読めば、「青葉が繁るように伸びやかな、遊人/旅人」でしょう。
「蓁蓁遊(しうんしんゆう)の人」と読めば、「青葉が繁るように伸びやかに遊ぶ人」でしょう。

こうして「蓁蓁遊人」を、本日は松川さんのために「新ことば」として創案申しあげました。







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続いて「新ことば」を贈らせていただいたのは、古賀勇希さん。
古賀さんのお話からは、文化を愛する心を感じ取りました。
ご自身が演劇に携わっておられた経験をお持ちで、外国としては文化の高いイギリスに将来住んでみたい、とおっしゃられました。
なので、古賀さんのために、文化の香りをなんとか古代東アジアの世界で言葉化したい、と私は思いました。

そこで、はるかいにしえの時代に、テーマを遡らせました。




邯鄲調(かんたんのしらべ)

そのこころは、「いにしえの都、邯鄲(かんたん)の調べ」です。

邯鄲(かんたん)

今から約2400年前から2200年前の中国は、戦国時代と呼ばれて戦国七雄(せんごくしちゆう)と称される七つの強国が、中国の覇権を巡って激しく争っていました。

趙(ちょう)王国は、七雄の中で最後まで、やがて統一帝国となる秦(しん)と覇権を争った強国でした。
その都が、邯鄲。
当時、最も文化が栄えた都として、その名声は中国中に鳴り響いていました。
邯鄲にまつわる伝説や芸術作品には、有名なものが多くあります。

邯鄲夢(かんたんのゆめ)
かつて、ある若者が青雲の志を抱いて邯鄲の都にやって来た。一宿した宿屋にいた老人に、若者は自らの夢と抱負を語った。老人はそうかそうかとうなずいて、「いま黄梁(こうりょう。アワの実)の粥を炊いているから、その間にこの枕で一眠りするがよかろう」と手持ちの枕を若者に貸してあげた。若者は枕を抱いて眠った。その夢の中で、若者は成功して出世し、栄枯盛衰を経て、よき家庭に恵まれて、齢八十で多くの家族に看取られながら臨終の息を引き取った。その夢は、若者が望んだ栄華の人生をありありと見せた夢であった。そこで眼が覚めた、、、眼が覚めたとき、目の前の粥はまだ炊き終えてすらいなかった。若者は夢から覚めて、浮世の名利から一歩抜け出す境地を得ることができたという。炊かれていた粥から、「黄梁一炊の夢(こうりょういっすいのゆめ)」とも言われる故事です。

この故事は、日本の能楽に取り入れられ、その曲名はそのまま『邯鄲』として今も上演されています。
芥川龍之介も、この説話について掌編小説『黄梁夢』を書いています。ただ芥川の作品では、若者は夢から覚めて現実もその夢のようだ、と老人に諭されたとき、「夢だから、なお生きたいのです」、夢が覚めるまでが人生ならばそれまで真剣に生きて生きたい、と伝えたと脚色しています。

邯鄲之歩(かんたんのあゆみ)

田舎から来た男が、邯鄲の都人の優雅な歩き方に憧れて、そのスタイルを真似ようとした。だが真似ようとしてもいっこうに身につかず、ついにはとうとう田舎での歩き方を忘れてしまった。男は歩くことも出来ず、這って故郷に帰っていったという。哲学書『荘子』にあるエピソードで、自分の本文を忘れてできないことにかまけると両方とも失う、ということを戒めた言葉です。

文化の都、邯鄲のイメージは、日本や中国の古典文化で広く知られたものでした。
現代のロンドンに対比することもできるだろう、古代東洋の文化の都。
そんな「邯鄲」の二字を、イメージとして取り上げさせていただきました。

かつての都の姿は、2000年の時間の果てに去ってしまいました。
今ではどのような街であったのか、人々がどのような歩き方をしていたのかについて、想像で追いかけるより他はありません。いや、想像で追いかけるからこそ、無限のイメージの広がりを古代の都に持たせることができるでしょう。

かつて邯鄲の都で流れていたはずの、「調(しらべ)」 ― その音楽も、町並みから聞こえた雑踏の声々も、すべて今となっては想像の中で聞くだけです。

「邯鄲調(かんたんのしらべ)」は、すでに失われたいにしえの都の音を、イメージして楽しむ豊かな感性を象徴した言葉です。

こうして「邯鄲調」を、本日は古賀さんのために「新ことば」として創案申しあげました。


「新ことば」Live字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHINは、来月も開催する予定です。
またとない体験を、皆さんもどうかお試しください。初見の方、大歓迎です!