2012年8月13日(月)、京都烏丸御池の「Samurai Cafe & Bar SHISHIN(士心)」にて、第三回字天ナイトを開催いたしました。

当日のライブの、活動報告です。

第三回目の字天ナイトでは、第二回に引き続いて書家の八木翠月先生にご臨席いただき、小田の「新ことば」を即興で書にしたためていただきました。
当日は、「三国志ナイト」と称して、古代中国の三国志にまつわるエピソードから、小田が「新ことば」のヒントを取り上げました。

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まず最初に「新ことば」を贈らせていただいたのは、Uさん。
Uさんは、京都産業大学法学部で、政治学の教鞭を取っていらっしゃいます。
Uさんの経歴はユニークなものであり、十数年フランスで研究生活を続けた後、ごく最近に日本の大学に移って日本でのキャリアを再開された方です。
だから、もちろんフランス語に堪能でいらっしゃいます。法学部でフランス語?と最初は聞いたときに疑問を持ちますが、日本の近代法は最初フランス法の移植から始まったのです。明治初年に来日して日本近代法の父と称される法学者ボアソナード(グスターヴ・エミール、1825-1910)は、フランス人でした。日本の法体系は、その後に同じ大陸法の体系であるドイツ法を参考にして発展していき、現代の六法に続いています。

そのようなUさんは、自己イメージとして堅実さ、建築を支える脇役としての素材をお話されました。
そこで、小田はUさんにこのような「新ことば」を選ばせていただきました。

昭理明法(しょうりめいほう)

この四字は、三国志きってのヒーロー諸葛亮孔明(しょかつりょう・こうめい、紀元184年-234年)の名文『前出師表(ぜん・すいしのひょう)』の文中から拾い出しました。
『前出師表』は、諸葛亮孔明が魏への北伐に出陣するに当って、二代皇帝劉禅に宛てて上奏した文章です。

宮中・府中は倶(とも)に一体たり。臧否(ぞうひ)を陟罰(ちょくばつ)するに、よろしく異同あるべからず。もし姦をなし科(つみ)を犯し、及び忠善をなす者あれば、よろしく有司に付してその刑賞を論じ、もって陛下の平(あきら)かにすべし。よろしく偏私して、内外をしてを異にせしむるべからず。(『前出師表』より)

[大意]宮中(劉禅皇帝の朝廷)と府中(諸葛亮孔明の軍隊本部)とは、ともに一体です。賞罰を下すときには、ケースごとに異同をしないでください。もし悪事をなして罪を犯すものがれば、あるいは真心から善事をなすものがあれば、どうかそれらを官吏に精査させて刑賞を論じ、これによって陛下の平明の道理を明らかなものとしてください。決して私事でえこひいきを行って身内と外とで法を異ならせるようなことがあっては、なりません。

諸葛亮孔明は、主君であった劉備玄徳から、彼の没後に二代皇帝の劉禅を補佐するように委託されました。彼が属していた蜀漢は三国の中で最も弱く、漢王朝復興の大義名分を掲げて力の差を承知で魏と戦わなければ、国の存在意義が危ういものでした。諸葛亮は、そのためにまず南方を平定して後顧の憂いをなくした上で、自ら国の総力を挙げた兵を起こして、北の魏に攻め込みました。その時に後に残る劉禅皇帝に上奏した文が、『出師表』です。諸葛亮孔明はこのとき朝廷官吏の最高位である丞相の位にありながら、魏討伐軍の指揮官として前線に立ちました。以降、都合五回の出兵を魏に対して行いましたが、ついに成功せず、五丈原(ごじょうげん)の陣営にて没しました。

『出師表』は、英明とはいえなかった後継者の皇帝に対して、君主として何をなすべきかを噛んで含めるように諭しています。それは、人事に公正であり、法に平明であれ、というものでした。諸葛亮は、法の厳正な運用を国の政策として大変重視しました。およそ中国の人民は法に縛られることを嫌い、法を細かく適用する官吏のことを「法匪(ほうひ)」とまで罵ったりします。その中で諸葛亮は、厳格な法の運用者でありながらなおかつ中国人から尊敬を受けた、歴史上でまれな人物でした。彼は、公正な法の一貫した適用が結局は国と人民のためになることを知って、法に厳しくありました。その姿勢は、極めて現代的であったと評価できると言えるでしょう。

そこで、Uさんには、『出師表』の上のくだりから四字を取らせていただきました。

「昭」「明」はともに「あきらか」という意味です。
「理」は「ことわり」であり、現象の背後を貫く原則・法則のことです。法の原則であれば、「法理」という語になるでしょう。
つまり、「昭理明法」とは、「あきらかな理と、あきらかな法」という意味です。

千八百年前の政治家である諸葛亮が持っていた原理を現代に蘇らせて、今も昔も変わらぬはずの人間社会の統治原理を、この「新ことば」に縫い込みませていただきました。

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続いて、士心のITマネージャー、三島孝宜さんにも「新ことば」を贈らせていただきました。

勇和(ゆうわ)

三島さんは、三国志では呂布(りょふ)が一番お好きだとか。
小さい頃に弱い立場であったので、強い人物に憧れるとおっしゃいます。日本の戦国武士ならば、山中鹿之介と言います。三島さんは、店長の浜中さんと同じ島根県の出身です。浜中さんとはだから長いつきあいであり、浜中さんの目指すものに意気投合して、士心を始めなさったとおっしゃいます。まさに、中国の古典で言う「竹馬の友(ちくばのとも。幼少時からの友人)」です。
そんな三島さんは、ご本人もおっしゃるように、「勇」を好む内心をお持ちのようです。
しかし、士心の理想には武士道による世界平和があり、ゆえに「和」の精神に同意なされていると思いました。「和」は融和の精神であり、また和魂すなわち日本の心であります。

そこで、両者の精神を繋げて、「勇和」の二字を贈らせていただきました。


「新ことば」Live字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHINは、来月も開催する予定です。
またとない体験を、皆さんもどうかお試しください。初見の方、大歓迎です!