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今日は、バスで仙台から青森に向かう。

途中は東北自動車道であり、都市部はほとんど通らず、東北地方の農村部を進んでいく。

岩手県の北上盆地までは、西日本の農村と同じ風景であった。

耕された田畑の向こうに、丸っこくて優しい山々が並び立っていた。西日本の今ごろの風景と違う点は、ときおり遠景に北上山地が春でも雪をかぶった姿を見せていること、そのぐらいであった。

仙台の街から出てしばらく走ると、大衡(おおひら)という地があった。

広がる美田を近景にして、さほど遠くない向こうに連なる山々の形が、面白い。山水画の好景といえるだろう。

学生時代にヨーロッパを旅行したことがあったが、そのときイギリスで何度も長距離列車に乗った。この列車は、時間が正確でなくて、困り果てた。その上ロンドンからスコットランドに向かう列車が、途中で強風のために架線が吹っ飛んだ。そのせいで、数時間列車の中で立ち往生した。お詫びとして、子供さんたち限定でジュースが配られた。大人の私には、スマイルすらなかった。そんなことのために朝にロンドンを出てから北イングランドをようやく夕方に通ったのであるが、その時に車窓から見えた農村の風景は、心中を戦慄させるほどに、美しかった。夕焼け色に染まった一面の畑地の真ん中に、一棟の簡素だが美しい教会が、屋根を赤々とさせて立っていた。畑地は隅々まで耕されてよく整地され、一区画の無駄もないようであった。イングランドは、日本のような急峻な山がない地形である。丘に続く丘で、その丘は全て畑や牧草地として利用されているのが、農村の通常の風景である。山に遮られることもなく続く畑地が、夕焼けの空と交わっていた。その風景を目の当たりにしたとき、西洋の風景画などは現実の風景の劣化した影にすぎない、とすら思ってしまった。

北イングランドで見た農村の風景は、日本や韓国の水田がある風景とは、全く違っている。ここまでイングランドの農村を称えた後なので、それらは美しいといっても「それなりに」というただし書きを書かなければいけないだろうか。血筋が美人である女性と、愛嬌があること程度で褒めるべき女性とを、比べているのであろうか。だが、こうやってバスに乗りながら農村の風景を眺めていると、それはもう十分に見慣れている風景であるのに、安心感を交えた喜ばしい気分が起こってくる。昨日の晩の残りの酒を少しずつ飲みながら、日本の風景には日本酒であるなあ、ウィスキーは似合わないよなあ、などと気分よく思ったりした。そういえば、イングランドの列車では、私はウィスキーを飲んでいたっけ。

上江釣子(かみえづりこ)、と道路標識で読めた。岩手県北上市付近である。道路は、いくつもの透き通った渓流を通り過ぎていく。その一本の美しい渓流の脇に、いかにもニュータウンで見かける性質(たち)の、土を堀っくり返して再度固めて作った人工の水路が作られていた。周囲に木々を整備して、公園のつもりであろうか。しかし、その公園の周囲に広がる美麗な手付かずの自然に比べると、あまりに無残な汚点であった。こんなものが、ここの住民は欲しいのであろうか。自然などどこにもない都会ならばあってもよいかもしれないが、この北上地方は、大半がいまだ自然である。そこにこんな人工の景観を置いたら、言葉は悪いが外部者の私の目には、都会で言うならば憩いの公園に粗大ゴミを放置しているような決まりの悪さがあった。

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道路の標識で、雫石川(しずくいしがわ)と読めた。すでに盛岡市郊外である。

しかし、バスの風景は、大阪の南河内地方のそれと、大きな違いはない。何も聞かされずに眠らされて、この土地で起こされたならば、私は決してここが岩手県の真ん中だと気づくことはないであろう。東北地方といえど、北上盆地までは西日本と同じように明るい風景である。

道は次第に山の中に入っていき、雲が垂れ込めて視界が悪くなっていった。

安代(あじろ)で、バスは小休止した。秋田県との県境である。

周囲は、山桜の花盛りであった。

かつての時代、まだ日本の平地が都会化される前の時代には、桜とはこうして山の中で咲く花であった。急峻な山肌を薄淡い色で染め上げる姿は、容易に近寄って見るべきものでなくて、遠巻きにその美しさを称えるべきである。酒を飲むならば一人でゆっくりと鑑賞するのが上出来であり、夜桜の下で皆の衆が集まって大騒ぎするなどは、後世に麓の土地に桜の木を移して植え込んだ時代から後に起こった、騒々しい風俗であろう。バスから降りると、さすがに肌寒かった。

東北自動車道は、秋田県をかすめた後、津軽平野に入った。平地の風景は、一変した。林檎畑などの、畑地が多くなった。田はあるのであろうが、まだ田に水を張る季節ではないようであった。

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バスからは、岩木山の麓しか見えなかった。残念であった。明日は弘前に行く予定を立てていたが、天気はどうなるだろうか、明日は岩木山が見えるぐらいに回復してくれるだろうか、と気をもんだ。

青森市内に入ると、いよいよ風景は寒さを増した。道路端に、除雪された雪の塊がまだ残っていた。雲は低くたれこめ、晴れていれば市の背景を飾るべき八甲田山もまた、ほとんどその姿を見ることができなかった。

昼過ぎに、青森駅前に着いた。

(小田 光男)