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三内丸山遺跡(さんだいまるやまいせき)は、青森駅前からバスで三十分もせずに行くことができる。

青森市内はこのときまだ桜の開花時期で、遺跡に向かう道には桜の木が花を付けていた。

だが、どの木もひょろひょろとして、街路樹としてはまことに心細かった。強風でも吹けば、一撃で根元から折れてしまいそうであった。花を楽しむというよりは、心配が先に立った。

この三内丸山遺跡は、存在だけは古い時代から知られていた。だがこの遺跡が特大規模の縄文遺跡であることが明らかになったのは、平成4年(1992)の発掘調査以降のことである。司馬遼太郎先生の『街道をゆく 北のまほろば』の中においても、この遺跡の発掘結果が新聞に載ったときのことが、リアルタイムで書かれている。

そのうち、大阪の自宅で朝日新聞の夕刊を広げたとき(一九九四・七・十六)、一面トップに大変な記事が出ていることに驚かされた。

「四五〇〇年前の巨大木柱出土」

という。青森県にである。縄文中期という大むかしに、塔までそびえさせているような大集落遺跡がみつかったのである。

というわけで、それから20年近くが経った今、遺跡は来客者の見学に寄す施設が完備するところまでいっている。

バスを降りた前には、縄文時遊館という建物がある。出土品を展示することが、建物の目的である。遺跡は、建物の裏手に広がっている。

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建物の案内板に、中文と韓国語に並んでロシア語があるのが面白かった。京都や奈良などの観光案内には、ふつうロシア語はない。この案内板のロシア語は、直訳すれば「考古学的発掘品地区」と書かれている。

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現在、遺跡の上には建物が置かれている。このクリの木で作られた構造物は、発掘された柱の跡の上に考古学的に想像したものである。ここでは、6つの柱の穴が2×3のサイコロの6の目のように現れた。穴の直径と深さは約2m、穴の間隔はすべて4.2m、穴の中には直径1mのクリの柱が一部残っていた。つまり、穴の大きさと間隔を計算して作られた、六本の柱から成るなんらかの建物が上にあったはずである。最も想像しやすい建物は、祭祀のための神殿のようなものか、あるいは遠方を見張るための櫓(やぐら)のような施設であろう。櫓のような高い建物ではなかったか、という説の根拠としては、この三内丸山遺跡がある丘は、縄文時代には海に面していたということが挙げられる。遺跡のすぐそばまで陸奥湾の入り江であったはずで、だから海で漁をする舟から見える構造物を作ったのではないだろうか。司馬先生は、この大きな柱跡の発掘現場を見て、そのような想像をしておられる。

この構造物は、当時の建築技術から類推した限りで、用途を限定せずに仮に復元されたものである。だから、このような構造物がかつての時代にあったわけではない。考古学的に建物の形を断定できないための、仮の姿である。

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これは、大型竪穴住居跡を、復元した内側である。

上の部分はあくまでも復元されたものであるが、住居の跡は相当に広い。用途としては集会所、共同作業所、冬季間の共同家屋などの説があるという。いずれも、説得力がある。

この三内丸山遺跡に限らず、青森県には縄文遺跡が数多い。津軽地方にある一つの遺跡だけで、近畿地方全部の縄文時代の出土物を凌駕するぐらいである。海から魚介を採り、森から鳥獣を獲り、クリの木を植えて実を集めたら、一村を維持するぐらいはわけなかったであろう。縄文時代にはすでに農業が始まっていたというが、農業のために平野を作り変えて、新しい村を次から次へと分植させていく弥生時代以降の日本社会とは違って、与えられた自然の範囲内で村を営んでいたことであろう。農業によって大きな人口を維持しない、という条件の下では、青森県の自然の恵みは近畿地方よりもずっと豊かなものであったに違いない。

この三内丸山遺跡のような縄文時代の遺跡群からは、日本の遠い土地から算出されたヒスイや黒曜石が出土している。村々は孤立していたのではなくて、広い範囲で交易を行っていた。

経済人類学の知見によれば、交易は文明社会に特有の現象ではなくて、人間の経済にとって根本的な活動であり、未開社会から古代社会、近代社会に至るまで、なんらかの形で必ず行われているものであるという。だから、縄文時代の村人が、遠く離れた土地の産物を交易で得ていたことは、何も驚異的なことではないだろう。

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バスで、青森市内に戻った。もう一つ、今日中に行きたいところがあった。

バス停は青森駅の東口にあったが、そこから鉄道の向こう側に出るために苦労した。青森市はJR青森駅で東西にちょうど分断されていて、駅のこちら側から向こう側に行くためには入場券を買って駅の構内に入るか、駅を避けて遠回りをするしかない。この道の作り方は、感心しない。

写真は、JR線の西側に位置する、青森市旧庁舎である。現在は、青森市森林博物館となっている。前を通り過ぎたとき、いま庭の桜の花が満開であった。

(小田 光男)