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少し南に行った平和公園も、桜が満開であった。朝の光が、まぶしい。このまま天気が良ければ、今日は申し分ない。

いったんホテルに戻り、次の弘前行きの電車に乗る用意をした。紙パックの中に半分以上残っていた酒を、リュックに詰めた。今日は東北旅行最後の日なので、隙あらば陽の高いうちから飲んでやろう、と思った。

普通電車は本数が少なく、10:35青森発にようやく乗った。車窓には、津軽平野が広がる。丘は低くて青く、モンゴルの草原地帯のように茫漠としていた。

じつは、津軽に旅行する前には、ちょっと期待していた。

旅行の達人の言として、読者もこれだけは信じて、覚えて置くがよい。津軽では、梅、桃、桜、林檎(りんご)、梨(なし)、すもも、一度にこの頃、花が咲くのである。

(『津軽』より)

これは太宰先生が、生家のある金木村の高流(たかながれ)という小山に生家の人々と共に遊んだときの、一節である。私は、そのくだりの道程で描かれた太宰先生の筆力の美しさに幻惑されて、五月の津軽はさながら桃源郷のように目もあやな花々が咲き乱れて、目を置く隙もない。そんな情景を頭の中で、勝手に想像していた。

しかし、実際に鉄道から眺めた五月の津軽平野の風景は、まあこんなものでしょう、というものであった。農村の風景らしくてのどかでよいが、私が旅行前に勝手にイメージしていた夢の風景とはずいぶん違っていた。太宰先生の筆力が偉大なのであった、という結論に自ら達して、コップで一杯飲んだ。だが、電車が津軽平野を内陸部に分け入るにつれて、雲が広がってきた。やっぱり岩木山は、この旅行では見れないのだろうか。

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弘前駅に、着いた。

あまり感動させるような、駅前ではない。

全国の城下町はどこでもそうであるように、この弘前駅もまた、城下町の旧市街から離れたところに敷かれている。だからこの駅前地区は、新しく開発された弘前の新市街である。そして全国各地の新市街の例にもれず、面白みのない箱型のホテルやマンションなどで景観が占められている。日本の観光地に行っていつも思うことなのだが、日本の国内旅行は鉄道旅行が主流であるはずなのに、駅前の風景はたいてい面白みがない。鉄道旅行が日本観光の主流である以上は、多数の観光客にとって駅を降りた瞬間に目の前に広がる景観が、その観光地の第一印象となるであろう。この弘前駅前の景観に対して、私は観光都市として及第点を与えることはできない。

そんな不満を振り切って、駅前から城下町に向かった。

すると、城の見える方角の通りの向こうに、厚い雲の下の切れ間から白く輝く山の裾(すそ)だけが見えた。

お!と思った。

弘前では、街中からこうやって岩木山を見ることができる。雲の下にちらりと見えただけで、大いに奇とした。私は、成層火山の姿が大好きである。富士山は言うにおよばず、鳥取の大山、鹿児島の開門岳、木曾の御嶽山、群馬の赤木山。どれも、旅行中に見えただけで、心が嬉しくなってくる。津軽の人にとって岩木山は毎日見慣れている風景であろうが、遠くから来た私などの観光客にとっては、わずかに山裾が見えただけで、心中ひそかにはしゃぎ立つぐらいの嬉しさだ。

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時間は、まだまだ午前中である。

今日は雲が切れるまでここにいてやろう、と思った。

(小田 光男)