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御釜神社(おかまじんじゃ)は、すぐに見つかった。

ここには、ご神体の鉄釜がある。

かつて、鉄釜で海水を煮て、塩を作っていた。塩竃(しおがま)の地名の由来は、ここが製塩所であったところから来ている。

「ふふ、俺達はニューギニヤじゃ人肉まで食って、苦労して来た兵隊だ。一緒に来るならいいが、まごまごすると食っちまうぞ」

彼等は声を合わせて笑ったが、上等兵は私の雑嚢(ざつのう)に目をとめた。

「何だ、そりゃ。やにふくらんでるじゃねえか」

「塩であります」

「塩?」

歓声に似た声が、いっせいに三人の口から洩れた。

「そいつあ、豪儀だ。・・・・・・ええと」伍長の口調は急に丁寧になった。「どうだ、そいつを俺達にも少し分けて貰(もら)えねえか。そんなに一人で持ってても仕様があるめえ。一緒に連れてってやるよ。食やしねえよ。ありゃ冗談だ。」

私に異議があるはずがなかった。

「そうか。そいつぁ、有難(ありが)てえ。じゃ、あっちで分けて貰うとしようか・・・・・・だが、ちょっと嘗(な)めさせろ」

彼等は争うように私の雑嚢へ手を入れると、一つまみずつ頬張った。

「うめえ」

と口ごもりながら、めいめいにいった。一等兵の目尻(めじり)に、涙がちょっぴり溜(たま)った。

(大岡昇平、『野火』より)

大岡昇平氏は、太平洋戦争でフィリピン戦線を経験した作家であるが、彼の戦争時代を描いた作品には、極限状況での人間の生理的欲求がどういうものであるかが、リアルに描かれている。『野火』では、主人公が現地人から盗んだ塩が、彼が出会った敗残の兵たちを生理レベルで結びつける命を繋ぐ宝として、登場する。人間の体は、塩を必要とする。獣であるならば、狩った獲物の血を飲めば塩を得ることができる。しかし、作物を植えて動物から栄養を得る生活をやめた人間にとって、塩は外部から買ってでも取り入れなければならない。ヨーロッパでも中国でも、塩は歴史の中で最も早い時代から取引された、最初の商品であった。

ヨーロッパでは岩塩が豊富にあって、塩は山から採取していた。日本には、岩塩がない。代わりに、海があった。だから、内陸の多賀城などに塩を供給するために、この塩竃の地が古代に製塩所として拓かれたのであろう。

ご神体は扉が閉ざされていて、神社には誰もいなかった。

連絡先の電話番号が、書かれてあった。

それで、電話を掛けてみた。

思いの他にすぐ通じて、「ちょっと待っていてください」と言ってくれた。どうやら、塩竃神社から降りてきてくれるらしい。

20分ほど待って、神社の人が来てくれた。見たところ、たぶん私より若い。

鍵を開けてもらって、ご神体を見せてくれた。

ご神体は、四個の鉄釜であった。想像していたよりもずっと大きくて、直径は目測で1m50cm以上はあった。すでに年月を経ていて、鉄は赤錆びていた。釜の中には、水があった。この釜で海水を煮て塩を作っていたのが、塩竃の由来だというのである。田畑を作り、役人を養うために、古代の王朝は東北地方の戦略拠点というべきこの土地で、塩の供給を大事に守ったはすである。その領地経営的事情が、信仰に転化した。それが、この御釜神社の本社である塩竃神社の始まりだったのであろう。

「私みたいに、連絡する人は結構いるのですか?」

「たまにですね」

「社務所は、どこにあるのですか?」

「塩竃神社です」

と、来てくれた人は答えた。

この後に塩竃神社にも登ったのであるが、神社は丘の上にあって、階段は相当にきつい。

私一人のためにわざわざ来てくれたご足労に、後から恐縮してしまった。

(小田 光男)