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古代中国の調べ-七絃琴-(2)

字天 小田光男です。

毎週土曜日に京都・西陣で開催されている古典「論語」の研究会にて、去る平成二十四年十月十三日に読書会同人・子敬子さんの古琴(七絃琴)の演奏を聞かせていただきました。読書会同人である小田が、演奏風景を録画編集しました。

七絃琴は、少なくとも1800年前の後漢時代末には言及がある、きわめて古い歴史を持った楽器です。孔子、諸葛孔明(しょかつこうめい)、李白、蘇東坡(そとうば)といった中国史の大文化人たちがこの琴を愛し、琴のための曲を作った、と伝えられています。

映像の曲は、儒教の開祖孔子(こうし)が作ったと伝えられる『獲麟(かくりん)』です。

(字天 小田光男)

古代中国の調べ-七絃琴-(1)

字天 小田光男です。

毎週土曜日に京都・西陣で開催されている古典「論語」の研究会にて、去る平成二十四年十月十三日に読書会同人・子敬子さんの古琴(七絃琴)の演奏を聞かせていただきました。読書会同人である小田が、演奏風景を録画編集しました。

七絃琴は、少なくとも1800年前の後漢時代末には言及がある、きわめて古い歴史を持った楽器です。孔子、諸葛孔明(しょかつこうめい)、李白、蘇東坡(そとうば)といった中国史の大文化人たちがこの琴を愛し、琴のための曲を作った、と伝えられています。

映像の曲は、数千年前に在位していたという伝説の聖王、帝堯(ていぎょう)が作ったと伝えられる『神人暢(しんじんちょう)』です。

 

(字天 小田光男)

「新ことば」Live報告~第五回字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHIN

2012年10月8日(祝)、京都烏丸御池の「Samurai Cafe & Bar SHISHIN(士心)」にて、第五回字天ナイトを開催いたしました。

当日のライブの、活動報告です。

第五回目の字天ナイトもまた書家の八木翠月先生にご臨席いただき、小田の「新ことば」を即興で書にしたためていただきました。
当日は、「日本戦国ナイト」と称して、日本の戦国時代にまつわるエピソードから、小田が「新ことば」のヒントを取り上げました。

 

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まず最初に「新ことば」を贈らせていただいたのは、KさんとYさん。Kさんは神奈川のご出身だが京都を拠点として活動されておられ、一絃琴(いちげんきん)を奏し芸事への造詣が大変深いお方です。またYさんは生粋の京都人であり、ご祖先は維新まで代々御所に仕えていた家だということです。ご本人はいま西陣で事業に打ち込んでおられる方で、シャツや小物入れの上にちょっとした刺繍を置いて、そこにセンスを凝らしておられました。お二方とも京都の文化の深いところに通じておられるようで、小田も私個人の芸を見せなければならぬと、「新ことば」に趣向を凝らすよう心がけました。

 

百禮・万樂(ひゃくれい・ばんがく)。

 

そのこころは、それぞれが「日々に百の礼儀あり」、「この世には万の楽しみ(または音楽)あり」です。
また二枚を合わせて読むと、「百万禮樂(礼楽)」あるいは「一日一力の礼と楽」とも読むことができるように仕上げました。

KさんとYさんとは、当夜からわずか四日前にお知り合いになられたばかりとか。
それで、この夜にはお二人で旧知のように打ち解けていらっしゃる。そのお姿に、すがすがしい人の交わりの姿を感じました。

Yさんは、お仕事と並行して倫理法人会で大いにご活躍なされているとお聞きしました。
Kさんは、40年近く前から京都で活動をなされ、京都の茶、芸事、音楽の文化に深く造詣を持たれているとお聞きしました。
お二人の長い経歴と、あふれるように若い活動を見たとき、私は二つの色の空気がお二人を包んでいるかのように感じました。

Yさんからは、涼やかな色の空気。礼儀の心、と申すべきでしょうか。
Kさんからは、暖かな色の空気。音楽の心、と申すべきでしょうか。

しかも、それぞれの空気が、当夜はよく調和していたように感じました。

そこで、私は今夜の場を表すために、二つの言葉がそれぞれに独立していながら、両者が合わさっても別の意味を持つような「新ことば」を考案したいと思いました。
それが、Yさんへの「百禮」、Kさんへの「万樂」です。

Yさんにお贈りした「百」の字は、「一日」とも読むことができます。
一日一日が、百の禮(礼)に尽きること。
これは、人間が社会の中で和やかに、しかも正しさをもって他人と付き合っていくために、必須のことです。
Yさんの社会人としての力強い活動を見て、この字を選ばせていただきました。

Kさんにお贈りした「万」の字は、「一力」とも読むことができます。
一つ一つのことに力(つと)めて、しかもその道を楽しむこと。
Kさんの文化を愛して実践する道のひたむきさと楽しさを見て、この字を選ばせていただきました。

二枚の色紙は、それぞれがお二人の道にふさわしいと考えて字を選ばせていただきました。

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そこに加えて、今夜の記念として、二枚の色紙を横に並べたときに新たな意味が出る仕掛けを作らせていただきました。

http://www.akitakata.jp/site/page/sightseeing/history/hyakuman/

上のサイトは、戦国大名の毛利元就の出身地である、吉田郡山城(広島県)にある「百万一心」の碑です。
二枚の色紙の「百」と「万」の字の形は、この碑からヒントを得ております。
一世で地方の極小領主から中国地方の大大名に成長した毛利元就が、自分の城に建てた碑であると伝えられています。
そのまま読めば、「百万が一つの心になる」。
分けて読めば、「一日、一つの力で、一つの心」。
苦労人の元就が目指していた道が、よく分かる味わい深い碑です。

さらに、「禮」と「樂」を並べて読めば、「禮樂(礼楽、れいがく)」となって、新しい意味が現れます。
「礼楽」は、かつて中国の孔子が最も大事にした人間文化の二つの真髄でした。

-詩に興り、礼に立ち、楽に成る(論語、泰伯篇)。

論語には、上のような言葉があります。

孔子は、礼儀を単なる堅苦しい躾(しつけ)だけの意味には取らず、詩や音楽と同じ文化であると捉えていました。それらは、いずれも孔子に取っては人間を人間らしく豊かにするために身に付けるべきものでした。孔子は礼を行うことによって社会の中でよく生き、音楽を楽しむことによって心を調和させることを人間の理想としました。

二枚の色紙を横に並べたとき、このようにも読むことができます。

百万礼楽。

または、

一日一力の礼と楽。

KさんとYさんは、これからも人として礼を守り楽を楽しみ、さらなる人生航路を進まれることだろうと、私は疑いを持つところがありません。

 

 

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続いて「新ことば」を贈らせていただいたのは、KMさん。KMさんは、大阪東成の下町で飲食店を開いておられると聞きました。「下町のインテリたち」がよく来る店なので、ひねりのある面白い言葉がよいというリクエストを受けました。今夜は、難題続きでした。

澱下一統(でんかいっとう)

そのこころは、「澱川(=淀川、よどがわ)の流れの下を一つにまとめたい」。

最初の一文字「澱(よど)」は、大阪です。

排気ガスで、空気がヨドンデいるからか?
下町の雰囲気がどろどろのソースみたいに、ヨドンデいるからか?

私も大阪の出身であり、そうやな、と認めます(笑)。

それで終わっては、しかし学がない。

毛馬(摂津国東成郡毛馬村、現在の大阪市都島区毛馬町)出身の文人であった蕪村(1716-1783)の作品に、三首の「澱河歌(でんがか)」があります。
その一つ。漢詩風です。

菟水合澱水
交流如一身
舟中願同寝
長為浪花人

菟水(とすい)澱水(でんすい)に合し
交流一身の如し
舟中願はくは寝(しん)を同(とも)にし
長く浪花(なには)の人と為らん

「菟水(宇治川)が澱水(淀川)に合わさり、交わって一つ身の川となります。この川舟の中で、願わくは共に添い寝て、私とあなたとで長く浪花の街の人となりたいものです」

という意味です。私とあなたとの交わりの思いを、菟水(宇治川)と澱水(淀川)が交わることにたとえています。つまり、澱(よど)の字は、古来淀川を指した字です。蕪村の三首の「澱河歌」は、淀川に遊ぶ私とあなたとの別れを歌った艶のある和漢混交の作品です。

だから、「澱下一統(でんかいっとう)」とは、「澱川(淀川)の下を一つにまとめよう」という意味となるでしょう。「天下一統(てんかいっとう)」は国士の夢ですが、一語を「て」から「で」に濁らせたら、浪花の風景に変わる。面白(おもろ)うて、やがてヨドンでいるのが大阪でしょうか。だが偉大な文人の蕪村が詩に書いたのも、澱(よど)の川が流れる大阪。笑いを取っても、実はあなどれない。
 

KMさんは東成区の下町で飲食店を開かれている、とお聞きしましたので、ここは酒にまつわるような意味合いの言葉にもしようと心がけました。

知る人ぞ知る博物学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)は、実家が和歌山県の醸造業者でした。その会社は今でも続いています。「世界一統」という雄大な名称の会社です。この名前は大隈重信の命名によると伝えられていて、会社は今でも南方家の方々により経営されているようです。

http://www.sekaiitto.co.jp/

 
この銘酒の雄大な名称と対になるような言葉であってよい、と私は「新ことば」を作る際に思った次第です。


「新ことば」Live字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHINは、来月も開催する予定です。
またとない体験を、皆さんもどうかお試しください。初見の方、大歓迎です!

「新ことば」Live報告~第四回字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHIN

2012年9月10日(月)、京都烏丸御池の「Samurai Cafe & Bar SHISHIN(士心)」にて、第四回字天ナイトを開催いたしました。

当日のライブの、活動報告です。

第四回目の字天ナイトもまた書家の八木翠月先生にご臨席いただき、小田の「新ことば」を即興で書にしたためていただきました。
当日は、「三国志ナイト」と称して、古代中国の三国志にまつわるエピソードから、小田が「新ことば」のヒントを取り上げました。

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まず最初に「新ことば」を贈らせていただいたのは、三条葵さん。

倩川(せんせん、またはせんかわ・せんのかわ)。

そのこころは、「美しい笑みのように清らかな、川の流れ。」

三条さんは京都を中心にご活動しておられ、和装に興味を持たれて、みずから和装の細部まで再現なされていると伺いました。好きこそものの上手なれとは申しますが、今の時代にここまで好きの道を究められるお姿を拝見して、小田は思わず「数寄(すき)」の二字を思い浮かべました。「数寄」は日本の粋人たちが理想とした、趣味を極めて芸術に至る道。三条さんの「数寄」の二字にふさわしい好きの道に、感服いたしました。これからも、さらに極められることでしょう。

三条さんは、自らの道をもっと多くの方に知ってもらいたい、ということでした。京都を愛し、和装を愛する三条さんの道が、今後もっと多くの人に知られて楽しまれることを、お祈りいたします。

さて、小田がそんな三条さんのために考案した「新ことば」です。

中国古典の『詩経』から、華やかな詩(うた)を取り上げて、一字を選びました。

巧笑、倩(せん)たり
美目、盼(はん)たり

-詩経、「碩人」(せきじん)より。

これに逸詩として『論語』に挙げられている「素もて絢(あや)となす」を足して、やまとことばに直します。

くちもとのえみのうるはしめのきよし
しろきいともてひきたつるあや

口元の笑みの麗し目の清し
白き糸もて引き立つる絢(あや)

これは、いにしえの時代の中国で、斉国の姫君の美しさと、絢(あや)すなわち色鮮やかな装束の華やかさを詠んだ詩の一句です。
この中から、笑みの美しさを意味する「倩(せん)」の字を、選ばせていただきました。
その字に、響きよい「川」の一字を加えました。
「川」は、京都の情景を表す字として、ふさわしいと小田は思いました。京都は、白川や高瀬川のように、細く清らかな水の流れが似合います。関東ならば利根の大河や多摩川・荒川のようなゆったりとした流れが情景にふさわしく、むしろ「河」や「江」の字が思い浮かぶところです。しかし、京都は「川」の字のほうがよい。上の「倩(せん)」の字と「川」の字を加えて、古典の文学と京都の街の長い歴史を編み込んだ、美しい二字「倩川」を選ばせていただきました。

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続いて「新ことば」を贈らせていただいたのは、蔡文姫(仮名)さん。

會心喜笑(かいしんきしょう)

そのこころは、「心に思うとおりとなり、時の流れを越えて喜び笑うこと。」

蔡さんは、東京出身で神奈川在住でありながら、かつて京都にお住まいであってこの日もお母様の京都の別邸にいらっしゃったと伺いました。
お話をお伺いすれば、お家は旧会津藩の家柄であり、黒谷金戒光明寺の会津藩墓所に、幕末に在京して京都の地に倒れたご先祖の墓がおありだと伺いました。さらにご実家は戊辰戦争から日本近代史に名を残す旧会津藩家のことであるというお話。その深い歴史と京都との因縁、私ごときが何をか申しましょう。

黒谷の墓所にあまりに多数並んだ会津藩士たちの墓のこと、また戊辰以降の柴家の壮烈な歴史のことを想うと、私はまず最初の一文字に「會」の字を選ばずにはいられませんでした。
しかしながら、蔡さんのお話を伺い、またお母様のお話も伺ったとき、なんともまあ明るい気分となりました。お書きいただいたアンケートでは、「豊かな実が成り、満願成就」の相を、蔡さんは好まれた。まさしく、豊かな花も実もあるお姿であるなあと、お話を伺って思いました。

それで、「會心(かいしん)」と字を続けました。心に会い、思うとおりである、胸がすく晴れやかさ。私は、お二人には会津の歴史を大切にする一家でありながら、間もなく幕末から150年を過ぎようとしている今の時代に心晴れやに生きておられるようなお姿を感じて、「會心(かいしん)」と明るい表現に変えさせていただきました。

しかし、「會心」つまり「会心」は既存の熟語で、辞書に既出です。私はそこに継ぎ足すために、今夜のために読んでいた北宋の詩人蘇軾(そしょく)の『前赤壁賦』から引用を加えさせていただきました。

- 客 喜ビテ笑ヒ、盞(さん)ヲ洗ヒテ更ニ酌ム。

諸行無常の憂いは世の理(ことわり)であるが、しかし個物は移ろえども天地は尽きず、さらなる後世に続いていく。今、ここに客と私とともに江上の絶景を楽しみ、月を愛でて酒を酌んでいる。こうして無限の天地が、この私たちに楽しみを与えてくれて、これを楽しむことを誰も禁じはしない。ならば、楽しもうではありませんか、、、この主人の言葉に、さきほどまで人生の無常を嘆じていた客は転じて喜び笑い、さらに一杯を酌んだ-

この名文の一景と、今夜のことを重ね合わせ、「喜、笑」の二字を付け加えました。歴史は長く、人は相継ぎ、今は喜ばしき笑いがある。これらの情景を合い混ぜて、「會、心、喜、笑」の四字を選び、今夜の「新ことば」とさせていただきました。


「新ことば」Live字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHINは、来月も開催する予定です。
またとない体験を、皆さんもどうかお試しください。初見の方、大歓迎です!

「新ことば」Live報告~第三回字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHIN

2012年8月13日(月)、京都烏丸御池の「Samurai Cafe & Bar SHISHIN(士心)」にて、第三回字天ナイトを開催いたしました。

当日のライブの、活動報告です。

第三回目の字天ナイトでは、第二回に引き続いて書家の八木翠月先生にご臨席いただき、小田の「新ことば」を即興で書にしたためていただきました。
当日は、「三国志ナイト」と称して、古代中国の三国志にまつわるエピソードから、小田が「新ことば」のヒントを取り上げました。

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まず最初に「新ことば」を贈らせていただいたのは、Uさん。
Uさんは、京都産業大学法学部で、政治学の教鞭を取っていらっしゃいます。
Uさんの経歴はユニークなものであり、十数年フランスで研究生活を続けた後、ごく最近に日本の大学に移って日本でのキャリアを再開された方です。
だから、もちろんフランス語に堪能でいらっしゃいます。法学部でフランス語?と最初は聞いたときに疑問を持ちますが、日本の近代法は最初フランス法の移植から始まったのです。明治初年に来日して日本近代法の父と称される法学者ボアソナード(グスターヴ・エミール、1825-1910)は、フランス人でした。日本の法体系は、その後に同じ大陸法の体系であるドイツ法を参考にして発展していき、現代の六法に続いています。

そのようなUさんは、自己イメージとして堅実さ、建築を支える脇役としての素材をお話されました。
そこで、小田はUさんにこのような「新ことば」を選ばせていただきました。

昭理明法(しょうりめいほう)

この四字は、三国志きってのヒーロー諸葛亮孔明(しょかつりょう・こうめい、紀元184年-234年)の名文『前出師表(ぜん・すいしのひょう)』の文中から拾い出しました。
『前出師表』は、諸葛亮孔明が魏への北伐に出陣するに当って、二代皇帝劉禅に宛てて上奏した文章です。

宮中・府中は倶(とも)に一体たり。臧否(ぞうひ)を陟罰(ちょくばつ)するに、よろしく異同あるべからず。もし姦をなし科(つみ)を犯し、及び忠善をなす者あれば、よろしく有司に付してその刑賞を論じ、もって陛下の平(あきら)かにすべし。よろしく偏私して、内外をしてを異にせしむるべからず。(『前出師表』より)

[大意]宮中(劉禅皇帝の朝廷)と府中(諸葛亮孔明の軍隊本部)とは、ともに一体です。賞罰を下すときには、ケースごとに異同をしないでください。もし悪事をなして罪を犯すものがれば、あるいは真心から善事をなすものがあれば、どうかそれらを官吏に精査させて刑賞を論じ、これによって陛下の平明の道理を明らかなものとしてください。決して私事でえこひいきを行って身内と外とで法を異ならせるようなことがあっては、なりません。

諸葛亮孔明は、主君であった劉備玄徳から、彼の没後に二代皇帝の劉禅を補佐するように委託されました。彼が属していた蜀漢は三国の中で最も弱く、漢王朝復興の大義名分を掲げて力の差を承知で魏と戦わなければ、国の存在意義が危ういものでした。諸葛亮は、そのためにまず南方を平定して後顧の憂いをなくした上で、自ら国の総力を挙げた兵を起こして、北の魏に攻め込みました。その時に後に残る劉禅皇帝に上奏した文が、『出師表』です。諸葛亮孔明はこのとき朝廷官吏の最高位である丞相の位にありながら、魏討伐軍の指揮官として前線に立ちました。以降、都合五回の出兵を魏に対して行いましたが、ついに成功せず、五丈原(ごじょうげん)の陣営にて没しました。

『出師表』は、英明とはいえなかった後継者の皇帝に対して、君主として何をなすべきかを噛んで含めるように諭しています。それは、人事に公正であり、法に平明であれ、というものでした。諸葛亮は、法の厳正な運用を国の政策として大変重視しました。およそ中国の人民は法に縛られることを嫌い、法を細かく適用する官吏のことを「法匪(ほうひ)」とまで罵ったりします。その中で諸葛亮は、厳格な法の運用者でありながらなおかつ中国人から尊敬を受けた、歴史上でまれな人物でした。彼は、公正な法の一貫した適用が結局は国と人民のためになることを知って、法に厳しくありました。その姿勢は、極めて現代的であったと評価できると言えるでしょう。

そこで、Uさんには、『出師表』の上のくだりから四字を取らせていただきました。

「昭」「明」はともに「あきらか」という意味です。
「理」は「ことわり」であり、現象の背後を貫く原則・法則のことです。法の原則であれば、「法理」という語になるでしょう。
つまり、「昭理明法」とは、「あきらかな理と、あきらかな法」という意味です。

千八百年前の政治家である諸葛亮が持っていた原理を現代に蘇らせて、今も昔も変わらぬはずの人間社会の統治原理を、この「新ことば」に縫い込みませていただきました。

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続いて、士心のITマネージャー、三島孝宜さんにも「新ことば」を贈らせていただきました。

勇和(ゆうわ)

三島さんは、三国志では呂布(りょふ)が一番お好きだとか。
小さい頃に弱い立場であったので、強い人物に憧れるとおっしゃいます。日本の戦国武士ならば、山中鹿之介と言います。三島さんは、店長の浜中さんと同じ島根県の出身です。浜中さんとはだから長いつきあいであり、浜中さんの目指すものに意気投合して、士心を始めなさったとおっしゃいます。まさに、中国の古典で言う「竹馬の友(ちくばのとも。幼少時からの友人)」です。
そんな三島さんは、ご本人もおっしゃるように、「勇」を好む内心をお持ちのようです。
しかし、士心の理想には武士道による世界平和があり、ゆえに「和」の精神に同意なされていると思いました。「和」は融和の精神であり、また和魂すなわち日本の心であります。

そこで、両者の精神を繋げて、「勇和」の二字を贈らせていただきました。


「新ことば」Live字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHINは、来月も開催する予定です。
またとない体験を、皆さんもどうかお試しください。初見の方、大歓迎です!

「新ことば」Live報告~第二回字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHIN

2012年7月9日(月)、京都烏丸御池の「Samurai Cafe & Bar SHISHIN(士心)」にて、第二回字天ナイトを開催いたしました。

当日のライブの、活動報告です。

第二回目の字天ナイトでは、書家の八木翠月先生にご臨席いただき、小田の「新ことば」を即興で書にしたためていただきました。
一夜のうちに、小田が考えた「新ことば」が、翠月先生の筆によって色紙の上に一つの作品となりました。
それは、結晶ができあがるかのような、すばらしい瞬間でした。
「新ことば」ライブは、発想人のアイディアが書家の手を通じることによて、またとない作品を生み出すアートの場と変質したことを、ここにご報告いたします。

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「新ことば」を贈らせていただいたのは、松村あゆみさん。

松村さんもまた、書家であります。

小田は、松村さんのお話を聞いて、前向きな「新ことば」を作成して贈呈いたしました。

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学中心(がくちゅうしん)

この三字は、いろいろな読み方を許すものにしました。

松村さんの今は、大変に頑張っておられる。その状態にふさわしい読み方ならば、「学び中(ちゅう)の心」。

いつか、松村さんはこの書を「学ぶ中に、心(がなければいけない)」と読む日が来るだろう。

そして、いつか「学ぶ中心(にいるべき自分)」という段階に行くだろう。

小田は、発展途上で前向きな松村さんの姿から感じて、「学」にまつわる多重な読み方ができる「新ことば」を構想させて、贈らせていただきました。
「新ことば」Live字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHINは、来月も開催する予定です。
またとない体験を、皆さんもどうかお試しください。初見の方、大歓迎です!

東北旅行記 最終章(2012/5/11)

日差しが、足元を照らし始めた。

やがて、頭上はかっと暑くなるほどに、照り付けた。

山を隠している雲を見れば、その風上の方角では、すでに雲は消えていた。

あと少しすれば、見えるだろう、、、

もう少し、、、

まだかよ。

私の頭の中では、「タブー」の音楽が鳴り始めた。昔の人ならば知っている、ドリフの加藤茶のギャグ「チョットダケヨ、アンタモ好キネ」のシーンでの音楽。風流でも、なんでもない。

 

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というわけで、見事な岩木山の全貌を、この日幸いにも城の本丸から見ることができた。

待ち続けた末に見ることができた今日は、初めから晴れていたより、感慨もひとしおであった。

 

平成二四年陽暦五月十一日自弘前城眺岩木山

巖山雪嶺辞無用

本日晴天至上時

万朶桜花城下緑

傾觴戯作一篇詩

 

平成二四年陽暦五月十一日、弘前城より岩木山を眺む

巖山 雪嶺 辞(ことば)は無用

本日晴天にして 至上の時

万朶(ばんだ)の桜花 城下の緑

觴(さかずき)を傾けて戯作す 一篇の詩

 

東北旅行最後の日に、この名山を見ることができたのが、一番の出来事であった。

やがて日は傾き、空はすっかり晴れ上がった。

暑さと酒で、頭がぼおっとなった。

酒が尽きたとき、私は岩木山に別れを告げて、城を下りた。

弘前の城下町は、この状態ではとても楽しむことができなかった。

「百石町展示館」の前まで来て、喫茶店に入って休んだ。

私はそこで、はじめて津軽言葉というものを聞いた。店長さんと、常連のおばさんたちがカウンターに集まって会話していた。チラシなどを見ながら話をしていたので、たぶん買い物情報か何かが話題だったのであろう。

だが驚いたことに、彼女たちの会話が、全く分からなかった。

ときどき分からない言葉がある、というレベルではない。

一語一句たりとも、意味が分からなかった。完全に、津軽弁は私にとって外国語であった。

平成時代の日本にして、まだここまで標準語から遠い方言が残っていることに、私は感動してしまった。この言葉で、太宰治などは少年時代に津軽地方の豊富な昔話を聞かされて育ったのであろう。そこから来る言語感覚は、本州の中心部の人々が持ちえないものが、きっとあるのではないか。

本州北辺の城下町は、夕方の陽だまりの中にあった。その喫茶店の一角で女性たちの語る言葉を、私は意味もわからずに長々と嬉しがって聞いていた。Tsugaru is marvelous.

 

- 東北旅行記 完 -

(小田 光男)

東北旅行記 その二十八(2012/5/11)

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本丸は広場になっていて、桜の花がここでも満開であった。

しかし、今は桜についてはどうでもよくて、山の姿が気になった。 Read more

東北旅行記 その二十七(2012/5/11)

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城に入る東門は、豪壮というべきである。

今は弘前城も、桜の花が最後の時期に来ていた。 Read more

東北旅行記 その二十六(2012/5/11)

弘前は、城下町である。

津軽氏の城下町として、慶長年間(1596-1615)に築城が行われた。それまでは弘前市の郊外にある大浦城や堀越城を拠点としていた津軽氏(大浦氏)が、関が原の合戦後に弘前を拠点と定めて、城と城下町が作られた。

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築城を企画したのは、この銅像の戦国武将である。 Read more